about

fivetrees について

①ジュエリーアートの創作、受注販売、金継ぎの指導、修理、漆芸の創作

②開講している教室:ジュエリーアート、金継ぎ、再生芸術

 これらの創作指導については出張指導もできます。詳しくはFIVETREES制作塾のページをご覧ください。

③FIVETRRESのテーマ:「祈りの形象化」、「金属と漆の融合表現」


メールアドレス fivetrees.art@gmail.com または『contact』からお問い合わせください。

FIVETREESの名前の由来

私の制作活動を深く理解しプロデュースしていただいている森本武先生*の "森" を冠し、私 "林" と合わせて "森林" とした。

私は空を雲が流れる様を見るのが好きだ。空は宇宙とつながっている。

自然と呼ばれるものの中で海や空は人間がつくることはできない。

しかし山は、森林は、人の手で作ることができる。

森林は5つの木から成り立つ漢字である。

今は大きな森でも始まりは1本の木からなのだ。

そう思った時、FIVETREESという名が浮かんだ。

ぐんぐん空へ伸びてゆく5本の樹木のイメージが浮かんだのである。

小さな個人の喜びが、いつしか地球丸ごとを潤す大きな喜びに育つだろう。

その気持ちを託して名付けたのが「FIVETREES」である。

*森本武 先生

NPOK's Point 代表、嵯峨美術大学・嵯峨美術短期大学前学長。哲学者J.クリシュナムルティの研究を軸として、「頭脳の限界」と「個の解放」という課題を探求している。著書に、『苦労の節約』、『思考は生(いのち)を知らない』など。また、アナーキー・タケの名で詩作もおこなっている。

NPO K's Point    www.kspoint.com

profile

市場に自分の作品を欲しがる相手がいて成り立つのがデザイナー。アーティストは、基本的に自分独りのおもいが全てで、相手がなくてもつくる。注文のあるなしに関わらず自分が主体となってつくり続けるのがアーティスト。デザイナーは流行や価格や消費動向などに頭をつかう傾向にある。私はあまり頭を使わない。感じることをなによりも重視する。念のようなものを感じ取って、それを手を通して目に見える作品にしている。だから時々とっぴょうしもない作品だと評価される。

林遼子  Hayashi Ryoko

三重県志摩市出身。高校在学中よりジュエリー制作を独学ではじめる
京都嵯峨芸術大学観光デザイン学科卒業(2008年)
2001年 個展『マヤ文明と日本の調和 — 神話の中の指輪たち展』、ギャラリーデュヌラルテ(東京)
2006年 中国貴州省カイリのミャオ族トン族自治州で刺繍と銀の工芸及びその歴史の調査研究
2006年 『アンティーク鼈甲と現代宝飾デザインの融合展』、ギャラリーフジカワ(京都)
2008年〜2014年 北京東旭民族芸術博物館客員研究員
2010年 『少数民族の芸術展』、北京東旭民族芸術博物館
2014年〜2016年 京都嵯峨芸術大学 附属芸術センター研究員 
2016年 『林遼子 ジュエリー 祈りの形象展』、京都嵯峨芸術大学 附属博物館

2016年 『遊空間七宝彫金展』、craft OGAWA (東京)

2019年 『Jewelry Art :祈りの形象展』、鳥羽大庄屋かどや

2019年 「FIVETREES」創設

2021年〜2023年 伊勢市モノづくり工芸講座『オリジナルジュエリー制作』講師(伊勢市産業支援センター)

2024年〜 日本の伝統工芸「拭き漆」を学ぼう!『重ねる美を楽しむ”拭き漆(ふきうるし)”』講師(中日文化センター津)

掲載メディア

2014年12月02日 人民日報 人民網日本語版 中国と共に生きる 少数民族の芸術に魅せられて

2019年12月01日 季刊誌「NAGI 凪」79号 記事 ギャラリー凪 祈りの形象

2019年6月07日    毎日新聞 いせ毎日 記事 創作ジュエリー展

2019年6月08日 中日新聞 記事 銀のアクセサリー

2019年6月27日 中日新聞 記事 出番です 中国少数民族思い制作  

2021年9月01日 女性情報誌「freeK」132号  記事 WOMAN FILE  みえステキ 

2022年2月01日 月刊誌 「月刊 なごや」472号 記事 出会い 2022

  

ミャオ族と私

中国少数民族ミャオ族との出会い

大学生の時、ゼミ旅行で初めて行った中国。そこで出合ったミャオ族の美術工芸品に魅了された。その繊細な技巧と美しさに驚き感動した。2003年から 2015年に帰国するまで刺繍と銀の工芸品及びそれらの歴史研究を行った。中国少数民族の銀匠達と生活しながら直接学んだ体験は、本などから伝わらないリアルでフ レッシュな学習の機会となり、私独自のジュエリーに対する基本的で決定的な感性を培ってくれたとおもう。

ミャオ族の2人と私

私が訪れたミャオ族の集落

川鵜漁師の一家。川鵜は綱で縛っていない。自由に放して魚を飲み込むと舟に戻ってくる。

集落には必ず二股の巨木がある。これはミャオ族の始祖伝説に由来する。

二股の巨木からミャオ族のお母さんである「蝶々ママ」が産まれたとされているからだ。祠が祀られている。

ミャオ族の民族衣装。刺繍はとても艶やかだ。染料は自然から採取され、媒染方法の違いでカラフルな色を生み出す。

刺繍の裏側には純銀を薄く伸ばしたものを縫い付けている衣装がある。これは古い衣装にみられる。

労働の合間や就寝前など少しでも手が空くと刺繍の道具箱を持ち出して刺繍をはじめる。

刺繍の型紙。毎週水曜日の定期市場、青空マーケットみたいな感じでさまざまなものが売られている。この日は近隣の村々から人が集まってきてとてもにぎやかだ。

定期市場に買い出しに来ていた女性。

ミャオ族の子供。シンボルのハチマキをしている。ミャオ族は地域によって衣装が違う。『100ミャオ』と呼ばれるほど多様だ。

刺繍用の絹糸と絹布を専門に売っている。染色もこの女性がしている。同じ色でも淡い色から深い色まで思いのままに染め分けている。着ている衣装やシンボルマークのハチマキも赤や黄色などの華やかな色であったものを黒、藍色に染めている。これは和服のしきたりに似ていて、50歳を超える女性は赤い衣装は着ないからだ。

乗り合いバスの中。小さなワゴン車だ。満席以上になるまで出発しない。決まったバス停留所はおおまかで、その他の留めてほしいところで留めてくれる。

年齢の高い女性だけが日常的に民族衣装を身につけていた。とてもしっくりくるこなれた着方で素敵だった。綺麗だった。

私が中国に行きはじめたばかりのころは言葉もままならず、しょんぼりすることも多かった。この写真の女性が大きくあくびをしているさまを見たとき、「あー、人は日本人も中国人も同じあくびだあ」とうれしくなり元気が出たのです。心があれば進める!と感じた1枚です。