work-再生-
ジュエリーと金継ぎ
私の取り組む再生(修理)には"ジュエリー"と"金継ぎ"があります。
FIVETREESでは、古いジュエリーや壊れたジュエリーの修理と壊れた陶磁器やガラスを漆による金継ぎで修理を行っています。
私は『修理』という行為を『再生』と表現しています。
もうダメだ、もう無理だ、と思っていたものが再び生を与えられ、新たな形となってよみがえるからです。
ジュエリーと金継ぎの修理をご依頼の方はメールアドレス fivetrees.art@gmail.com または「contact」からご連絡ください。
ジュエリー再生
おばあちゃんやお母さんから受け継いだものや贈り物など縁あって自分のもとへきたものたち。
それらの全てが「私」に似合うものではないかもしれない。時代が違う、あまり好みではなかったという事もある。
そういう満たされないものたちを自分自身で作り変えられるならとても楽しいことでしょう。
出来上がったものを身に着ければ、新たな輝きに出会えます。
ジュエリー再生のご依頼はメールアドレス fivetrees.art@gmail.com または「contact」からご連絡ください。
以下はそのままでは身に着けることのできなかったものたちを再生した事例です。
これらの作品は江戸時代後期から明治期に使われていたべっ甲のかんざしを利用しました。
眠っていたものを用途を変えて役立てるように再生する歓びは大きい。
べっ甲に限らず金属や石などのジュエリーを新たな作品に再生できます。
E-021-16
N-014-16
E-023-17
金継ぎ再生
「金継ぎはただの修理ではない。クリエイション、創造することである。」これが、 私の金継ぎに対する基本的な理念です。
ある日、ある食堂でイスの破れた座面をガムテープでベタベタ貼って補強修理している光景を見かけました。
金継ぎをそれと同じように無造作につなぎ合わせるだけの作業にしてしまったら、全くそのモノがもともと持っていた固有の品格というものを失ってしまいます。
そもそも、壊れても、欠けが生じても、そのモノを手放したくないしっかりした理由が持ち主にあるから、金継ぎをし、手元に置いて使い続けたいのです。
金継ぎは、その意味では、元のモノの価値を残しながらも、「新しいモノ」への生まれ変わりを実現する技術だと言えます。
|金継ぎとは何か
金継ぎは修復ではない。
修復は元の形に戻すことであり、壊れていることがわからないように完璧に復元する行為。直した後が景色となるという金継ぎとは真反対の作業である。
大陸の文化には見られない日本独自の芸術観から生まれたもの。一度壊れてしまったものを不完全なものとして低くみず、それに手を加えて「不完全さ」を肯定し、新しい創作表現として愛でる特徴もある。シンメトリーではなくアシンメトリーに美を見出す性行も日本的特徴といえる。
現代では、ほつれや欠けなど破損した器は下に見られる傾向がある。しかし、骨董の世界では美しく金継ぎされたものは価値が下がらない。事実、金継された名品が国宝にもなっている。
日本以外の国では壊れたものは欠陥品としてみなされ修理の技術は発展しなかった。中国には金属の鎹(かすがい)で修理する方法、東南アジアには粘土を充填して漆で修理する方法があるが、どれも一時的な手直しで、破損品、欠陥品のままなのである。
|金継ぎの歴史
⚪︎漆を接着剤として修理に使うことはすでに縄文時代から行われていた。
⚪︎金継ぎは、京都に足利尊氏が室町幕府(1336ー1573)を置いた室町時代に始まり安土桃山時代へと、茶道の発展と
共に深まっていった。
⚪︎陶磁器の割れや欠けを漆で継いで金粉や銀粉で上化粧する修理は、最初金継ぎではなく漆継ぎと呼ばれていた。
漆継ぎをいつから金継ぎや金繕いと呼ぶようになったかは定かではない。
⚪︎漆の上に「けしき」のために金粉を蒔いたのは本阿弥光悦(1558-1637)が始まりではないかという説がある。
光悦は色漆も使っている。
⚪︎金継ぎを日常の食器にするようになったのは現代になってからだろう。
*カルチャーセンターでは、2000年に 『NHK文化センター』が初めて「金継ぎ」講座をひらく。
|代表的な金継ぎ
漆で修理することを総称して金継ぎと呼ばれているが、いくつかの技法がある。
金属粉を蒔く :金粉の金継ぎ、銀粉の銀継ぎ、プラチナ粉の白金継ぎなど。光沢仕上げ、艶消しあり。
溜塗継ぎ :金属粉を蒔いた上に溜漆*をぬる。
共直し :直す器の色に近づけて仕上げる。色漆を使うことが多い。
呼び継ぎ :欠損部に異なる器の破片を合わせて継ぐ。
蒔絵直し :継いだところに文様を加飾する。
鎹 (かすがい) 直し :金属や竹などの鎹で補強して継ぐ。ホチキスのような留めかた。
*溜漆(ためうるし)は飴色に透けた漆のこと
「生活の具」というものは、生活者である主人(あるじ)と環境の適合が前提としてあるもの。
その場の持つ空間に対するセンス、ポリシー、コンセプトをまず理解する必要がある。
茶道では主人を「亭主」というが、主人公の環境と道具の調和をどのように生み出すか、そこを考えないといけない。
道具だけを単体で取り出して、良い悪いを論じるのは愚かなことだ。
サービスや技術の評価にしても全て使い手の持ってる価値観で決まってくる。
|価格表
【タテ10ミリ、ヨコ10ミリ目安】
欠け・・・金継ぎ 18000〜 銀継ぎ 10500〜 漆継ぎ 9000〜 錫(すず)継ぎ 9500〜 蒔地(まきじ)継ぎ 9000〜
割れ・・・金継ぎ 18000〜 銀継ぎ 10500〜 漆継ぎ 9000〜 錫継ぎ 9500〜 蒔地継ぎ 9000〜
※「艶あり」と「艶消し」できます。 加飾時に模様を描くこともできます。
土台作りの漆は日本産を使用しています。
お預かりの期間は約1年ほどです。ものによってはそれ以上になる場合もあります。
『200年前の仏壇を再生させる』
|修繕前と修繕方法
ここは人の往来が頻繁にあるため、かぶれる可能性のある漆は使わず「コクソ」という古来からの技法を使った。
200年以上前の仏壇は、造られた当時は全面に貼った金箔が輝きそれはそれは眩しいくらいであったと思う。ミニチュアの金閣寺のようであったと想像できる。それほど緻密で荘厳なものだ。現在は金箔も経年の変化により渋いかがやきを放っている。私はこの仏間で作品展をさせてもらった。痛々しく割れている天女をみて、どうしてもなおしたいと思った。
もう既に以前誰かが直した跡があった。そこで私は外れているところと、外れそうになっているところを修繕した。200年以上経過して、木が痩せてガタガタになっていたが、きれいになった。
|蘇った仏壇
『200年の時間の経過を大切にしたい』という想いから、時代感覚を残すように修繕した。人がこの仏壇の前を通るだけでも木彫の部品が落下してしまうほど危なっかしかったので、なおせてとてもうれしい。わたしの気持ちは晴れ晴れした。
|修繕後の仏壇部分
レトロなティーポットを再生させる
ティーポットのふたが割れて使えなくなってから長いこと保管していたとのこと。作りたての白く生々しい状態からここまで養壺させるには相当長い時間を要したに違いない。たくさんの思い出があるから簡単には処分できない。いつかまた道具として使える日を待っていた。それを聞いて私はうれしくなった。またひとつ思い出を救える。そして次へつなげてゆける。
|修繕前と修繕方法
頼んでくれた方と話し合って、なおしたところが新しくピカピカに目立つのではなくて、周りの景色と馴染むように前からそうだったようになおすことにした。貫入の様子も茶渋がじんわり染みている感じに合わせて漆継ぎの漆の色目もそれに馴染むようにした。
割れを麦漆で接着し、すき間を地の粉とサビ漆で埋める。そして色漆で継いだ。
地の粉を撒いてサビ漆をするところ
|蘇ったティーポット
割れたふたを色うるしで継いだ。そうするとティーポットの持ち手も経年の使用で枯れたようになっていたので、すり漆をしたらしっとりとした美しさになり全体的に気品を取り戻した。
ドイツ製アンティークのコーヒーカップを再生させる
持ち手が割れてしまって使いたくても使えなかったアンティークのカップ。アンティークとの出合いは一期一会。西洋アンティークを東洋の金継ぎ技法で再生させることでまた新たな景色が加わった。
|修繕前と修繕方法
持ち手が割れてカップにヒビが2ヶ所入っている。話しあって、カップは金彩が施されているので持ち手を本金継ぎにして
ヒビの入っているところは色漆継ぎをする。
フランス製アンティークのポットを再生させる
パッと見て、一瞬でひかれたアンティークのティーポット。
長年使用されずに放置されて見るからにすすぼけたポットだった。
そう、まるでアラジンの魔法のランプみたい。
ポットの表面は空気にさらされて銀特有のくすみが出ていたし、永らく人が触れた形跡がなかったのでおそらく随分と紅茶を注いでいないんだろう。
そう思うと妙にしんみりした。
また華やかな席にたちたいとポットが念を発しているようにかんじた。
|修繕前と修繕方法
外側はところどころ表面が剥離して素地がみえていたので銀メッキがされたものであることは分かった。内側は経年の劣化で金属表面に黒い腐食の膜が層になっていた。
外側は磨いて鏡面に戻すこと。内側は金属の防腐のためにふき漆をする。漆は防腐防サビの効果がある。
途中経過
表面の油汚れ等を落としてこれから磨きの段階に入るところ。少し磨いたらとても厚くメッキ処理がされたものであることがわかった。
内側は金属が腐食して黒い膜が張っているのを落としたところ。これから生漆を使ってふき漆をする。