祈りの形象
私は手を合わせるものをつくろうとしています。
出張や旅行に出かけるときも持っていける小さな拝む対象物。それが有ることで心がなごむモノ。
それは洋服に付ける特別なボタンかもしれない。あるいは持ち主にとって位牌になりうるでしょう。
「儀式」としての拝むことではなくて心のどこかに置いてて何かを見たとき何かを感じた時、ぽっとうかびあがってくる微細な気持ち。
空の青さを感じられたことを喜ぶような。
いつでも拝み、対話したい気持ちを受け留めてくれるモノ。
そういう微細な気持ちは私が学生の頃に恩師から「芸術の力論」や「見えるモノと見えないモノ、考えることと考えのおよばないこと」「芸術と祈り」等の講義を受けたことで刺激され、その後中国少数民族ミャオ族に飛び込んで右も左もわからないからこそ心しかない、頭はいみがないことを深く理解し、そして彼らの祈りや念についてのおもいが私の中で層を重ね、決定的な核となりました。
「祈り」「念」は今の私の創作全てに存在しています。
写真は学生の頃、北野天満宮25日の市へ
初めて行った時に出合って買い求めた陶製の像。私の心を和ませてくれます。
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